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STEP1:誕生

 19○○年、水道業を営む父(だった人)と理髪店を営む母との間に長男として生まれる。うちの理髪店は少し複雑な環境であった。私はこの代々理髪店を営む家の血をひいていない。実は私の祖父(義理の)は子供に恵まれなかった。そのため、理容師の資格を持つ母を養子として迎え入れたのである。そこに父(だった人)が婿入りしてきたのである。
 私の母は隣町(当時)の出身。実の祖父と祖母の三女として生まれた。実家は山奥にあり、自然の中で育ったそうである。母が3歳のとき、小児麻痺に冒された。現代の医学ならば、初期段階での処置を行えば完全に回復していたと思うが、当時は太平洋戦争の真っ只中であり、物資が不足している上に、病院までの距離がありすぎて、十分な処置が行えなかった。一時は命の危険にもさらされたが、奇跡的に回復した。しかし、体には障害が残り、背骨は湾曲し、右足に麻痺が残ってしまった。祖母に聞いたことがあるが、母のことが不憫で、一時は一緒に自殺をしようかとまで考えていたそうである。しかし母は強かった。障害のある体で、片道4キロの道のりを歩いて小・中学校に通ったそうである。祖父母は、母に技術を見につけさせ、世の中を生き抜いて欲しいと思っていたらしく、母を広島の理容の専門学校に入学させた。母は頑張って理容師の資格を取り、その後今の理髪店に養女として来たのである。
父(だった人)に関しての記憶はほとんど無い。母によると、気が弱く私の性格にそっくりだそうである。しかし私と違うところは、女性にはもてていたらしい。その後離婚 する原因になったのであるが。
父と母が離婚したのは、私が三歳のときである。ある日父が仕事に行くと言って家を出たっきり、戻ってこなかったそうである。その後父は見つかったが、そのときには別に女性がいて、離婚となったらしい。父は母に養育費を払うということになっていたが、一回もお金を受け取ったことはないそうである。ここから母と子の二人っきりの生活が始まった。

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